愛華は窓から広がる景色を眺め、呆れたようにため息をついた。
「あなたはまるで私がひどい事をしたような事を言うけれど、ひどいと言うなら、それはあの織笠鈴という生徒だわ」
「どこが?」
「動物を殺したお金でのうのうと唐渓などに通ってくるなど、人間として倫理に反すると思いません?」
「そんな事を言うのはやめろよ」
「どうして? 私は本当の事を言っているだけよ? それとも」
愛華はフォークを唇に当てる。
「あなたは私に嘘を付けと言うの?」
「え?」
「動物を殺して生きている人間に、あなたは善良な人間よ、なんて、嘘を言ってあげればよかったの?」
「嘘だなんて」
「でも、それは嘘だわ。だってあの織笠って子は、動物を殺して生きているのですもの」
「だから、そんな言い方は―――」
「ちょっと、さっきから聞いていればねぇ」
窓から視線を移し、ギッと相手を睨み付ける愛華。
「ここ最近、会えばその話ばっかり。毎日毎日うんざりだわ。だいたい何? あんな平民風情を庇うなんて、信じられないっ」
「平民風情って、何だよそれ。君はいつも言ってるじゃないか。人間はみんな平等だって」
そうだ、愛華はいつも言っている。人間は平等だ。誰かが誰かに劣ることなどない。だから慎二は兄の塁嗣になど劣等を感じる必要などないのだ。その言葉に、慎二はどれほど救われたことか。
だが、身を乗り出す美少年に、愛華は小馬鹿にしたような笑みを見せる。
「それは、同じ身分同士の問題でしょう?」
愛華の言葉に、慎二は背筋が凍るのを感じた。
「あなたとお兄さんは同じ家柄ですもの。だから平等だとは思うわ。だけどね、あの織笠って人間は別よ。あれは平民とも言えない低所得な存在だわ。あんな人間と平等だなんて、言われたくない」
「低所得だなんて」
「でも本当の事よ。私、嘘はついていないわ。だって私、嘘は嫌いだもの」
そうだ。愛華はいつも言っている。嘘は嫌いだと。
「あの女とあなたは別よ」
悪びれもせずに言い放ち、コーヒーカップへ口をつける。
「何、あなた、そんな事もわからなかったの?」
見下すような態度は今に始まった事ではない。愛華は自分よりも優れた人間であると、慎二は素直に認めていた。だからそのような発言を不快だとは思わない。だが慎二は、次の言葉に眩暈を感じた。
「あなたの態度は、優しさを通り越して女々しいわね」
女々しい。
「一人が死んだくらいでオロオロしちゃって、そんなんだからお兄さんにもお父さんにも見下されるのよ」
「一人が死んだくらいって、それはとても大変な事なんだぞ」
「たかが女一人よ」
「じゃあ何だ? 君は僕が死んでも同じ事を言うのか?」
「あなたは違うわ」
当然とばかりに瞬きをする。
「あなたはあの織笠鈴とは身分が違うもの」
ズケズケと、胸を突き刺す。
「私よりも身分の低い人間を擁護するなんて、信じられないわ。あなたは優しくてとても紳士だけど、ここまでくると呆れちゃう。興醒めしちゃうわ」
どうしてだ? 僕の優しさが好きだと言ったじゃないか?
問いたい思いは声にはならない。ただ愕然と相手を見つめるだけ。そんな慎二の態度に、愛華はテーブルに頬杖をついて笑った。
「立場や身分の違いも理解していないなんて、あなたって本当に世間知らずね。何もわかっていない」
何もわかっていない。
「でも、そんなところが好きでもあるわ。あなたのその純粋なところは好きよ」
でもそれは、立場や家柄や世間体が前提にあっての事。
目の前が真っ暗になった。
何もわかっていない。なぜ自分が愛華に好かれていたのかという事も。
彼女は、僕がそれ相応の家系に生まれたから、彼女の言う身分とやらを身に付けていたから、富丘に建つような家に住まう者だから、だから好きになってくれたのだ。僕の優しさなど、二の次だったのだ。まずは立場なのだ。家系なのだ。
「あなたって、本当に世間知らずの、おバカさんっ」
「信じていた桐井先輩にも、裏切られたような気分だったのだと思う」
智論は、何かを耐えるように紅茶を飲み込む。
「数日後には、二人が別れたという噂が校内に広まった。桐井先輩は、自分が慎二を振ったのだと触れ回った」
「ひどい」
「慎二が織笠先輩を擁護するような発言をしたのが、許せなかったのでしょうね。自分よりも格下と思っている人間を庇うような発言が、桐井先輩を怒らせたとしか思えない」
唐渓で他人を見下し合う同級生を思い浮かべる美鶴。
「桐井先輩との一件で、慎二は決定的に他人を拒絶するようになってしまった。特に女性に対しては殺意とも思えるほどの嫌悪しか抱かない」
「女は化け物だ」
幼い頃から知っている智論ですら見たこともないような吊り上った目つきで、慎二は吐き出した。
「女なんて、許さない」
崩壊していく。純粋で、一途で、真っ直ぐで美しかった少年のすべてが、無残に激しく崩壊していく。
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